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女川町中心地 |
3月の東北大震災からはや5か月が経過しました。東京にいると、メディアを通じて多くの情報がはいってきますが、やはり現地を一度訪問したいと思い、今回元同僚たちと週末を利用していってまいりました。仙台に赴任中の友人のエスコートにより、石巻ー女川ー南三陸とまわりました。今回一番の目的は女川に住んでいる友人を訪問することで、現場の状況、そして、現場の話などを共有することにより、皆で、今後の支援についても考えたいということでした。
南三陸は地震直後に、オーストラリアの救助隊が支援にはいったことが経緯となり、4月にギラード首相も訪問した町です。 石巻・女川・南三陸 ともに、最も被害の大きかった地域であり、現場に車に入るに従い、言葉も失う状況でした。 ただ、友人はこの5カ月の経過をほぼすべて見てきていることもあり、だいぶ片付いた・・・ということを淡々と教えてくれました。
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コンクリートが横たわる。奥には入江 |
地形にもよりますが、女川はその前に訪れた石巻とは対象的で、まさに「入江」が美しい町だったのだろう、と感じさせるほど、扇形の町になっており、この地形の為に想像を絶する津波が形成されてしまったそうです。 町の中心、というところにたどりついたものの、そこは工事現場、のようにまったく更地のような状況で、ここに町があったのか、と思うほど、平地で、真新しい電柱だけが誇らしく立っていました。 コンクリートが底からもぎとられたような状況で、ブロックのように横たわっていました。 友人は町で唯一の歯科医となった今、町の復興にむけての支援、そして町の住人の支援への決意を強く感じられました。 しかし、地震当日の話を長々と伺いましたが、本当に恐ろしい状況だったということを痛感した次第です。
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南三陸町 |
女川をあとに、大川小学校、そして南三陸へと向かいました。 テレビでみている内容のみではやはりわからない現実は多々あり、特に地形や現実的にこの場所で津波が起きたら・・・・・と思えば、その避難ルートの選択のなさに愕然とした次第です。 また、巨大なバスや船がいまもコンクリートの建物の上に乗っていることも恐ろしいです。
町がどこもかしこもがれき、そして、鉄くずのような中、妙に各町でも向日葵が強く咲いていました。それでも、その向日葵もうなだれた咲き方であり、元気になるはずの花ですがさみしささえ感じさせていました。
各国これまでに様々な形での支援をしていることは周知の事実であり、でも果たして本当に地元の方が喜ぶ支援ってどんなことなのだろう、と皆で考えました。 何が必要か、ほしいか、今はやはり生きていくための仕事ということ・・・。 雇用創出、そしてまずは町の機能を復活させるという大きな課題はまだまだ長くかかりそうです。
女川の友人に言われたことは、このような現場である、ということをぜひ東京の人にも伝えてほしい・・・ということでした。 新幹線で東京へ戻り、また何気ない大混雑の駅で、東京はやはり被災地から感覚が遠い、と感じました。 多くの事を話したことを記憶に残しつつ、今後の復興に少しでもお役にたてればと思います。
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