ビジネス奮闘記

皆さまにとってAOM Visa Consultingが身近なサービスになるようにこのブログでは少しやわらかめのトピックスもふまえて発信していきたいと思います。 オーストラリアやニュージーランド関連のほか、ふだんの活動や関心ごと含めてレポートします。 ご意見・ご感想などございましたらお気軽にメールにてお送りください。 AOM Visa Consulting Official Web site は こちらへ

2011年3月28日月曜日

東北関東大震災~友人からの連絡

この3月はすっかり地震で全てが変わってしまった気がします。日本は今、前をみて、しっかり東北の皆さんをサポートしていかなければならない、それしかないと思います。先日安否が不安であった友人が今日初めて仲間全員へ宛てたメールを送って下さいました。まさに被災後2週間近く、そして、その直撃した時の津波のすごさはメールにおける説明であったとしても、想像を絶する恐怖であったと実感しています。 友人は海から100メートル付近という大変危険な場所であった状況でありましたが、迅速な対応でご家族も無事であったということを伺い、本当に涙がとまりませんでした。現在は、避難所において、皆さんの支援側となり、日々奔走しているとのことです。ご家族は無事であったということでも、ご友人や仲間のご家族には多くの方が亡くなられた方も多く、喜べる状況ではないということです。 この事態を今後、どのように対処していくべきか、東北の被災者だけでなく、日本全体として真剣に考えていきたいと日々感じています。

また、ニュージーランドの友人からも地震の安否を気遣うお電話を頂きました。先月はクライストチャーチで大地震が起き、この際には私も大変心配して、彼女に電話したこともあり、今日はその逆の立場でした。 東京は揺れに揺れたものの、まだ日々の生活はできる状況であり、全く恵まれた状況と認識しています。 彼女の住むクイーンズタウンにおいても、この義援金活動は活発に行っているようで、学校などを中心に募金活動やみんなでおりがみで鶴を折ったりと、それぞれのコミュニティにおいてもみんな日本を応援してくれている・・・と報告してくれました。 

国の隔たりなく、今回の災害については、世界中において大変多くのサポーターが存在し、そして、全力を尽くしていることを日々感じます。 予期せぬ天災とはまさにこのような事か思いますが、東北がんばれ!ニッポンがんばれ!

2011年3月18日金曜日

東北関東大震災の被災~友人の安否

あの大地震からもうすぐ1週間、とても長く、そしてまだ余震も続くこの時間は、非常に日々重い気持ちです。そして、時間が経過するにつれて、報道上でその被害の大きさにただ呆然として、東京で、計画停電があるとはいえ、平和にすごしていることに、ただ、無念に感じてしまいます。 寒さの厳しいこの時期、自分に東京から何ができるだろうと、できることから少しずつ動いたこの1週間でした。 その中でも親しい友人が被災地において地震以来安否がわからず、毎日毎日どこから調べてよいものか、仲間と悩む日々でした。 仙台市内に赴任している友人は無事を確認、そして今は、被災している国民の為に奔走しています。 ただ、海側で生活しているもう1人の友人は海岸沿いにオフィスもあると聞き、この大津波を想像するだけで、本当に日々ただ、祈るばかりでした。 課外活動においてささやかですが、音楽活動を継続していまして、オーケストラ仲間として仲間全員で本当に心配していたこの数日間。毎日、いろいろなツール、グーグルや避難所サイト、名簿フォトその他を利用し、それぞれが探してきたウェブサイトや掲示板などを共有しては仲間みんなで日々さがしていました。 

そんな中、今日、1人の仲間から、避難所名簿サイトから名前を見つけ、そしてここからの検索を経て、ついに友人らしき人のことが書かれているブログも、仲間がみつけて、全員で共有しました。今の時代は本当にすごい・・・・と友人の存在可能性の嬉しさとともに、このツールのすごさに圧倒しました。あのような壊滅的な状況でもこのようにしてたくさんの仲間たちと探し、その情報も日々あきらかになり、本当に毎日がドラマチックでした。

まだ、決定的な事は確認できていませんが、ほぼ可能性が高くなった今、本当に感謝です。仲間たちの素晴らしいサポートにも感激しました。 大変な環境な中で、友人も多くの人を助ける立場の方ですが、ぜひ、頑張ってほしいと思います。

2011年3月11日金曜日

M8.8 の地震が東北地方太平洋沖で発生

2011年3月11日14:46に大規模地震が発生しました。

緊急用ダイヤルで伝言を残す 171+1+電話番号
緊急用ダイヤルで伝言をきく  171+2+電話番号


これまでに私自身も体験のしたことないほどの大きなものであり、東京における地震は関東大震災以来なのではないかと思います。
一夜明けた今日もまだまだ多くのニュースが特に東北地方から流れ、被災されました多くの皆さまには心よりお見舞い申し上げます。個人的ではありますが、親しい友人が仙台や女川にいるため、現在も大変心配しております。刻々と最新ニュースを聞く毎にその被害が膨大であることを痛感します。まずは、命を守る事が最優先となりますので、どうぞ、ご無事をお祈りいたします。

先日のニュージーランド地震に引き続き、地球上における自然は何か大きな転換期にきているように感じます。津波を始め、今回は日本だけでなく、周辺諸国においても危険はまだまだ多くあり、十分な警戒が必要な状況です。

東京においては崩壊については東北ほどではなかったものの、特有の交通麻痺は大変な状況となり、時間とともに、大勢の人がどこからともなく、大移動がはじまりました。
私自身も近くの小学校へまず非難しましたが、電車も前線ストップしたことをうけ、新宿駅から徒歩での帰宅となりました。まだ、早い段階においての行動であったため、帰宅ができた状況ではありましたが、大変多くの方は駅などでの帰宅困難者が発生した状況です。

電話については、まさに麻痺状態であり、このような危機的状況における電話通信の弱さを痛感した状況です。 現在、携帯電話の普及により、公衆電話が激減し、その場所さえ探すのに苦労する状況でした。こういう経験を通じて、災害時のリスクマネジメントを再考させられます。

まずは、被災者の方や街、その周辺地区に心よりお見舞い申し上げます。

2011年3月9日水曜日

Google Lunch @ Google Cafeteria

今最先端ともいわれます企業、グーグルのシニアコンサルタントの方とランチをする機会をいただき、お目にかかりました。昨年の夏に、六本木ヒルズへ移転してきたようで、しばらくこのヒルズにて勤務していたことも思い出しながら懐かしくオフィスへとお伺いしました。

少し、テレビなどでシリコンバレー本拠地の雰囲気やその他、ベンチャー企業などは拝見したことがありますが、ここもまさにその雰囲気をそのまま再現したようなエントランスで楽しそうな感じが漂っていました。ご存知の方も多いかと思いますが、アメリカIT企業では福利厚生の一環といいますか、ランチなどフリーフードカフェテリアを提供している会社も少なくありません。グーグルももちろんこの代表格であり、今回はカフェテリア体験もふまえて、社員の方がたくさん集まるこちらでランチをしました。 

その、メニューのバラエティーにびっくりです。サラダバーをはじめ、和食、洋食、パスタ、麺、カレー、デザートなどなど・・・自動販売機もありますが、すべてフリー・・・・。朝から晩までフル回転のようです。 そのため、もちろん社員の方が常にたくさん集まる場所になり、「Let'sTalk!」というのがここのキャッチフレーズになっていました。 自然と人が集まる場所が作られ、ここにくれば誰かしらに会え、自由にコミュニケーションがとれます。ビューも最高で、奥には和室もあり・・・とこの充実さにとにかくびっくりしました。 ランチもこれなら本当に楽しいですね。

イメージ通り、社員らしい人たちはたぶん30代が大変多く、本当に活気ある場所になっていました。国籍も多様であり、みなさんカジュアルで、この明るさがとても印象的でした。

私たちは和室でゆっくりと絶景を眺めながら様々なお話に花が咲きました。
グーグルのポリシーといいますか、どんな人たちを求めているか、どんな会社で、そして、ご自身について。印象的だった話は「会社は若いので、皆、その過去の歴史などにはあまり関心ない。そして、ハーバードやスタンフォード,MBA 保持者、などは全く関係ない。どんなことをしてきた、、、というよりどんなことがこれからできる、どんな技術をもち、どんな貢献ができる、ということが重要です」ということ。私がボランティアにて関与していますMIT のメディアラボ副所長石井先生もおっしゃっていましたが、「過去のことはなんでもよい。いままでまったくやってこなかったことをしてほしい。MIT に自分が何ができるか、このことだけを考えてください」と入所する際に強くアドバイスされたそうです。 人がやってこなかったことを常に探す、これが重要なようです。

お会いした方も日本生まれではありますが、長年アメリカでのご経験が大変長く、そして、日米をこの人生をとおして多く客観的にご覧になられてきた方と感じました。お話の中で、その自身に対するIdentity といいますか、日本人&アメリカ人の狭間にあるような感覚、そして自身の向かわれている方向・・・など、とても熱く語っておられ、私の中では「・・・・人というより、どのような環境で育ち、教育を受け、そして哲学をもつか」ということがとても重要な気がしました。

移民をする人は新しい土地に行き、その土地にある文化や歴史に順応したり、また自身のもとの文化をあらためて振り返る時間や機会をつくったり。 たぶん、ふつうに自身の生まれた国にずっと長く住み、そして生活することとは全く異なる価値観が生まれると日々感じています。

そのような感覚、そして自身の経験からお話される哲学から、そのパッションはとても印象強く、久しぶりにパッションのある方にお会いしたとても刺激的なランチでした。

また、近いうちにお会いできることを楽しみにしています。

2011年3月8日火曜日

日豪インフラ フォーラムへ参加しました

最近、日本のインフラ設備に関するビジネスのグローバル展開に大変積極的な状況であり、オーストラリアへの進出も十分範囲内であります。一般的に日本のこの技術力の高さゆえに、世界各国、特に新興国における高度経済成長にあわせて、インフラ事業の需要が高まっているのが現状です。 オーストラリアはインフラ事業に関する政策がまた別の意味で先端をいく国の1つとされており、このことをふまえて、昨年から日豪インフラフォーラムが開始され、聴講者として勉強のために参加してまいりました。

オーストラリア側からは政府各関係省庁政府をはじめ、弁護士事務所、大手コンサルタントなど、日本側はやはり関係省庁、大手建設会社、事業会社、銀行、弁護士事務所など、このビジネスに関心ある多くの方が参加しておりました。

私自身初めてきくキーワードが多かったのですが、まず、オーストラリアでは「PPP」といわれる政策=Public Private Partnership(公民パートナーシップ) 小さな政府を志向し、「民間にできることは民間に委ねる」という方針により、民間事業者の資金やノウハウを活用して社会資本を整備し、公共サービスの充実を進めていく手法であり、この政策がかなり確立されているということです。この政策を見本に、現在日本においても公共事業の民間委託、民営化、そしてPFI (Public Finance Infrastrucure) といわれる法改正へ取り組んでいる最中です。基本、オーストラリア政府の姿勢として、「公共事業は政府のみで実施するのではなく、民間からの資本・支援を多く期待し、そして、そおベースで事業が実施されることが理想」というのがスタンスのようです。そうすることで、民間にたいしても長期的安定したプロジェクトプランが可能ということでした。また、オーストラリアらしいのは、州政府ごとの活動になるため、それらの各州政府の自助努力も大いに関与してきます。

公共事業とは、何をするにも大変な予算がかかり、年数も多く、非常に大がかりなケースが大半です。そのような中で、いかに合理的に事業が実施できるか、そのスキームつくりがだいぶ成熟していると感じました。

フォーラム参加翌日の朝刊にさっそく、このPFI法改正に関することが大きく記事として掲載されており、今現在、グローバル展開がかなり積極的になった今、この事業のしやすい形へどんどん順応してきていると感じました。

日本は大変高い技術力をもっていることはどの国も高く評価していることであり、ここをどのように事業展開するか、日本国内における政府・民間の連携が重要になってくるかと思います。

いろいろと刺激になるフォーラムでした。

2011年3月4日金曜日

JTB の皆さまとディナー

在勤時代から大変お世話になっていたJTBの皆さまと今日はディナーに行ってきました。同業界としてJTBにはJTB東京ビザセンターという組織があり、ここであらゆる国のビザを扱っていらっしゃいます。 よい情報交換の関係としてこれまでにも大変お世話になっております。 

私自身のミッショはやはりオーストラリア・ニュージーランドの活性化・・・ですが、最近、オーストラリアは特に資源国ということもふまえて、そのインフラ整備のための投資誘致にとても積極的になっております。その点において日本へのアプローチも増加しており、このような新業務への対応などでJTB東京ビザセンターの皆さまとはよい意見交換をさせていただきました。

ワイン好きのみなさんということもあり、オフィス近くのイタリアン「バロッサ」というお店に連れて行っていただきました。こちらはイタリアンですが、オーストラリアワインを多くそろえているお店のようで、私たちには嬉しいセレクション。なかなか、隠れ家的な場所ではありますが、それでも、わりに人気のようで、金曜日ということもあり、次々と多くのお客様が入ってきました。

いろいろな話題から大使館のお話になり、大使館もお国柄、いろいろなところがあり、比較も楽しいものです。~1人の方がテレビ番組「大使の食卓」の大ファンらしく、なるほど、各大使館訪問する際にもいろいろ参考になる番組であることは確か・・・・ふと、オーストラリア大使の時の番組、どうだったのかしら・・・と思いました。 最近全ての大使館を一周したようなので、また、時間がある際に、拝見してみたいと思います。

外はとても寒い一日でしたが、おいしい食事を囲んで温かい一夜でした。

2011年3月3日木曜日

薮中三十ニ氏について - 元外務省事務次官

昨日にひきつづき、またテレビ番組についてご紹介したいと思います。
自身も長年関わった事からやはり私自身における関心事は「外交」であり、これは普遍的なエリアであります。もちろんオーストラリアやニュージーランド、オセアニアと日本における外交が最も関心高いエリアでありますが、このエリアで活躍している多くの友人も含めて、その日本における世界の中での立場、についても常に関心があります。

そんな中、元外務省事務次官である薮中三十二氏が番組に登場しました。近年北朝鮮問題やアジア地域における交渉役としてその名は一般の方にも深く浸透したと感じています。アジア太平洋州地区局長としての数々の歴史的イベントは今も記憶に新しい方も多いと感じています。

番組では、外務省組織についての説明から、過去に携わっていらっしゃったその任務としての役割、そして、長年の外交官としての経験からの哲学を語って下さいました。
印象的だったことを数点:

1.ロジックに物事を語る=世界共通語である
なぜなら、交渉=客観性が必要。 歴史や文化が異なる中で事を運ぶ際に、英語を共通言語と  して利用するだけでなく、万国の人に理解できるその論理的説明が必要。そうしなければ、納得できない。
  
2.きちんと自分の事を含めて説明できることが重要
(自国の歴史や文化、政治経済はもちろん、それらをふまえての自身の意見など)

3.経済大国=軍事大国ではなく、 軍事大国にならない経済大国が必要

4.日本はもっと自国がしてきている援助や支援、世界におけるその立場をアピールすべき。
ODAなど実績として行ってきていることは多く、国を発展させていくためのサポートは壮大。ただ、その点をどのように説明しているか、国民に対しても明確にメッセージとして伝えていくことが重要。 まだまだ大変多くの国が日本の存在感を重視しており、また、その力も必要とし、そして期待している。この点を日本国民に対しても訴えていくべき。

多くの交渉を重ね、そして、話のすじをたて、メッセージとして伝えたいことを相手国に伝え、道を切り開いてきた人のまさに心からの体験談をとおしてのメッセージだったと思います。

私は「外交」=まさに交渉力と感じ、そして、相手をよむ力が非常に重要視されることとも感じています。よいタイミングを見極め、メッセージを伝えることで攻め、そして、仕事とは別の機会=アフター5や食事を囲んでのカジュアルな場をとおしてのその関係構築、これも1つに外交のうちの1つと感じています。 フォーマルとカジュアルをどのように使い分けるか、この点もその人の素質かと感じます。

昨日の津田梅子女史ではないですが、人はどのような問題意識をもってうごくのか、何がモチベーションになって、行動するのか、外交官はやはり自国の発展、繁栄、そして平和な国づくりをめざすために日々動いており、その愛国精神は強いのかと思います。この精神をもって何事にも活力になるのではないかと・・・・。 常に冷静にものを語る方ですが、そのメッセージの重さはとても印象強く残りました。

このような熱い方がいらっしゃる半面、日本の政治はどうして常に不安定なのか、特に政界内における問題があまりに多すぎる現状です。そのギャップをいつも感じながら、このようなリーダーシップをもつ方が日本をよりMatureに、世界と同じレベルで政治も動かしていける形にしていってほしいと感じます。

2011年3月2日水曜日

Girls to be ambitious! 津田塾大学 創立者 津田梅子女史のお話

少し話はそれますが、最近拝見した番組についてご紹介したいと思います。

ふとテレビで津田塾大学 創立者である津田梅子女史の歴史について紹介する番組が始まった為、拝見してみました。私自身生まれ育った場所が津田塾大学の近所ということもあり、何気に親しみのある大学であり、また、日本ではじめて女子大学を創設したということも存じ上げていましたので、その彼女自身の生い立ちに関心をもちました。

驚いたのは6歳の時にすでにアメリカへ留学したということ。その時代、政府がアメリカへの女子留学生を募集したらしく、津田梅子は最年少の学生として参加したということです。小さくても新しい世界に冒険心あふれる子供だったようです。その後10年の月日を経て日本に帰国するのですが、逆カルチャーショックにより、自身の生きる道の方向性に悩んだ時期も長かったようです。しかし、一念発起し、女性が自立できるための学校設立に目標を掲げその大仕事を始めることになりました。
過程の中で紹介される数々のエピソードはとても興味深く、信念をもち、ゆるぎない独立心のもとにただ、ひたすら目標のために生きてきたその姿は女性として非常に刺激になりました。

35歳の時に学校設立を実現し、初めての卒業生を送るまでのその教育熱心さや、また、学校設立前に世界中を旅して、出会った多くの女性、ヘレン・ケラーやナイチンゲールなどからの励ましを受け、その実現へとむかったようです。昨年秋に公開された有名彫刻家、イサム・ノグチの母親がメインとなり題材となった映画、「レオニー」の中で、この母親がアメリカの大学で、津田梅子に出会うシーンがでてきます。 こんなところでも接点があったのか、と思うほど、本当にその彼女のスケールの大きさにあらためて驚きました。

今の時代でいえば、まさにベンチャー精神あふれる人であり、特に女性が自立することが社会的に難しい時代に、苦しいながら多くの方から援助を受け、このような偉業を果たしたその強さに本当に感激しました。

最後にご本人の肉声がレコードによって保存されているスピーチが流れました。 「自分がどのように社会で、世界で貢献できるか」ということを念頭においた人生をおくってほしい。 まさに そんなメッセージは心に響きました。

人は何をもってその仕事や生き方を選択するのか、自分にもしみじみあてはめて考えさせられるストーリーでした。 社会の為に何ができるか、自分を役立てることができるか、ここが一番大きなQuestion なのではないかと感じます。 私自身もオセアニアに対して、どんなことができるか、と日々考えるこのごろです。

2011年3月1日火曜日

留学マーケットについて考える ~ オセアニア頑張れ!

2月28日付の日経新聞に大きく「日本人学生が留学生との競争萎縮」という記事で特集されていました。著者は、この最近まで若手研究者を海外へ送り出すプログラムを担当していた東大教授でありましたが、この選抜にむけても、来日して留学している海外学生の方が圧倒的に英語力が高く、積極的であり、日本人学生はその波に圧倒され、萎縮している・・・という嘆きの内容でした。

個人的には、あまりにも「内向き日本人」というキーワードが定着するほど最近のメディア効果の大きさも懸念しており、これをもってかえって学生を萎縮させているのではないかという感じもうけます。ただ、現実問題、やはり現場での反応はこの先生が記述しているような事がおきているのかと思います。

この日本人留学生激減については、どの国もある意味必死で現在プロモーションしているのが現状であり、アメリカ、カナダ、オーストラリアどこも政府としても優先順位はとても高いトピックスです。どのようなポイントで魅力を感じてもらい、多くの日本人学生に留学してもらうか、これは時に戦略も必要と感じます。
少なくとも、私たちの学生時代はもっと海外に対しての魅力や好奇心が旺盛であり、誰もが卒業旅行は寒いヨーロッパでも長期で旅をしていたことが思い出深いです。今は・・・と思えば、きっとそのようなタイプより、短期で豪華なのんびり旅というのでしょうか。一言でいえば、その豊かさや平和さに少し埋もれている気がしてしまいます。

このニュースとは別に、同じ日に、民間会社「ラストリゾート」が新興国における企業研修プログラムを開始ということが掲載されていました。 今、産業界においても、日本国内のビジネスのみならず、次々と新興国へ進出する日本企業にとっては、その現場を知ることは英語を勉強することのみならず、非常に重要な事であり、この戦略は、納得するものであり、実施を決めたそのスピード感は大きいと感じました。

このようなニュースが流れて、やはりオーストラリアやニュージーランドのオセアニアは刺激を受けてほしいと感じます。学生が減っている・・・・ということのみならず、自国で留学するメリットは何か、そして、何が他国より優位であり、秀でているのか、南半球がゆえ、私自身はもっと戦略的にそのプレゼンスを高められると感じています。今、世界の動きや注目は新興国へ向けられ、ビジネス、そして、人の移動も圧倒的にインドや中国からの出身者が多く、その勢いはまるで日本のテンポとは比較にならないほどの状況です。 この点にどのくらい危機感をもってうけとめていくか、大切と感じます。

今はスピードがめまぐるしく早い時代であり、流行やマーケットをいかにつかみ、そしてその流れにそって需要をつくっていくか、これはどんなビジネスでも同じかと思いますが、オセアニア国、ぜひ頑張ってほしいと思います。年始から天災が続き、多難ではありますが、オーストラリア・ニュージーランド、どちらも皆とてもよい人が多く、日本とのその親交は長い歴史があります。それは英語や勉強することのみではないことも多い国です。
小さいながらも私自身もそのサポーターとして貢献していくことができれば幸いです。